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東京高等裁判所 昭和32年(行ナ)28号 判決 1957年12月24日

原告 境野照之助

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告訴訟代理人は、昭和二十九年抗告審判第二、三四〇号事件について、特許庁が昭和三十二年五月六日にした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とするとの判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は昭和二十八年七月二十九日別紙目録記載のように、「モア」の文字を左横書にし、これと平行した「MOI」の欧文字を横書にして構成されている原告の商標について、第五類洗料その他本類に属する商品を指定商品として登録を出願したところ(昭和二十八年商標登録願第一九、八六九号事件)、審査官は、登録を拒絶すべき理由を発見せずとして、昭和二十九年二月二日これが出願公告をなした。しかるに右出願公告に対し訴外小島増一から、原告の右商標は、同人の所有にかかる別紙記載のように「モナ」の文字を左横書にして構成され、第五類歯磨その他他類に属しない洗料を指定商品とする登録第四一〇三五〇号商標に類似するものとして、登録異議の申立がなされたところ、審査官は、右異議を理由ありとして昭和二十九年十月三十日原告の出願に対し、拒絶査定をなした。原告は右査定を不服とし、同年十二月六日抗告審判を請求したが(昭和二十九年抗告審判第二、三四〇号事件)、特許庁は昭和三十二年五月六日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同月二十四日原告に送達された。

二、審決は、その理由において、原告の出願にかかる商標と異議申立人引用の登録商標とを比較して、「両者はその外観及び観念において相違するものでありとするも、その称呼はともに二音よりなり、その第一音は共通するものであり、かつ第二音においても、前者の「ア」に対し、後者は「ナ」の音を有すること明らかであり、「ア」の毋音を伴うものであるから、極めて近似した音であるといわなければならない。従つて全体として称呼するときは互に相紛わしく、取引上混淆を免れないものと認める。」として本件商標は、商標法第二条第一項第九号の規定に該当し登録することができないとしている。

なお原告が、特許庁は、「モア」の文字を縦書にして構成され、第三類香料及び他類に属しない化粧品を指定商品とする原告の登録商標第二七九九六一号(昭和十一年七月十八日登録)が存在するにかかわらず、第三者の出願にかかる「モナ」の商標を同一指定商品について、昭和十四年八月二十五日第三二〇五一三号を以て登録されている事実を挙げて、両者が類似するものでないことを論証したのにかかわらず、審決は単に、他の事件に関するものであるから、上記の理由を覆すに足りない。」といつている。

三、しかしながら審決は、次の理由によつて違法であつて、取り消されるべきものである。

(一)  審決は単に第二音である「ア」と「ナ」とについて類似を考察し、これを全体に押し付けたもので「モア」又は「モナ」の全体について考察したものではない。

そもそも「ア」又は「ナ」等の音は単に発音であつて、これにより何等の観念を生ずるものではない。しかるに「モア」又は「モナ」等の如く音を組合せた場合には語となり、これにより何等かの観念を生ずる。ただこの生じた観念が吾人の日常用いる「トリ」「ハナ」等の語となる場合と、通常は語として使用されることのないものすなわち新語との別があるのみである。そして新語の場合は対話者はその発音につき深い注意を用いるから、両語中の音に近似することがあつたとしても、混同誤認せられるものではない。これに反し一般に習熟せられた語たとえば「ハナ」の如きは、「ハア」と発言しても、これを「花」と誤認することなしとしない。右は「ハア」なる語が存在しないから、聴者は、これを「ハナ」と誤認するる。もしこの場合「ハア」なる習熟せられる語があれば、誤認せられることはない。

原告の商標「モア」も、引用の商標「モナ」も語としては新語で未だ習熟したものではない。何等の意味もない語であるから、対話者は何れも深き注意を以て対話するから、混同誤認を生ぜしめる虞がないばかしでなく、第二音の「ア」と「ナ」とはその主音において著しい差異があり、単に両者が毋音を同じうするのみで語として混同することはない。しかるにこれを何等語として観察することなく、単に第二音「アと「アナ」とはその主音においては著しい差異があり、単に両者が毋音を同うするのみで語として混同することはない。しかるにこれを何等語として観察することなく、単に第二音「ア」と「ナ」のみについて判断した審決は違法である。

(二)  しかのみならず、原告は前述したように、本件の出願と同一の「モア」の商標を、昭和十一年七月十八日第二七九九六一号を以つて、第三類の商品を指定商品として登録を受け、次で第三者はその後昭和十四年八月二十五日本件引用商標と同一の「モナ」の商標を同一指定商品について、第三二〇五一三号を以て登録を受け、爾来両商標は並立して使用されているにもかかわらず、その間何等混同誤認を生じた事実はない。この点からいつても、両商標は類似するものではなく、審決はこの経験則を無視した点においても、違法であるといわなければならない。

なお原告は、本件の「モア」の商標について、第五類について本件で問題となつている登録を出願すると同時に、第一類、第二類及び第四類の商品についてもその登録を出願したところ、これら各類については、それぞれ「モナ」を要部とする登録第三三五五八七号、第四二三五八一号及び第四一七五一九号の商標が存在したにもかかわらず、審査官はこれら全部の出願について非類似と認めて公告決定となしたことは、また何人にもこれを非類似とすることが正当であることを物語るものである。(右第二類、第四類及び第五類の本件についての出願公告に対しては登録異議の申立があり、目下審理中であるが、第一類の出願については、第四四五五六九号を以て原告のため登録がなされている。)

(三)  審決は、原告がこれら登録例を挙げての主張に対し、何等考慮するところがなかつたが、およそ事物には旧来の習慣常習あり。裁判をするは従来の判例が主なる参考資料になるものであるが、商標の登録にもまたこれと同様に、従来の登録例は参考せられるべきものと確信する。

もしこれらを無視して他の事件に関するものとして何等顧るところなきものとすれば、類似の判定は時の異る毎に、人々により各別異の判断は何れが正なりや否なりやを判定することができないようになり、従つて社会の法的安全性の保持は不能に陥るものである。すなわち前記第三類の引例は、その商標は両者全く同一で、指定商品が差異あるのみである。そして指定商品が第三類の商品と本件の第五類とにおいて、これと商標との関係において、本件商標の類似について差異ある理由を発見することができない。

(四)  更に原告は前記のように登録第二七九九六一号商標により、主として香料を取り扱つているものであるが、これと関連した化粧品石鹸、洗粉、歯磨及び顔料等の商品を取り扱い、これに対し前記「モア」の商標を使用し来り、従つて引用商標の登録以前から一般に周知せられているものであるから、この点からいつても、原告の本件出願は登録せられるものと信ずる。

第三被告の答弁

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の請求原因に対し、次のように答えた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張は、これを否認する。

(一)  原告は審決の趣旨を曲解している。審決は「モア」及び「モナ」両商標の称呼として、その全体を考察し、これらが取引上混淆を生ずる慮があるかどうかを判断したものであつて、単に第二音「ア」と「ナ」が毋音を同じくするから、両商標が称呼上類似するものとしたものでないことは、審決を一続すれば、何人にも明白である。

そして上記「モア」及び「モナ」の称呼上の類否は、あくまで商品の標識として商品に付せられた場合を前提として考察すべきものであつて、日常の会話中に使用せられることを前提とするものでないから、原告代理人の主張は、その理由がない。ことに一定した観念を伴わずまたは全然具体的な観念として把握し難い新語、造語等を商標として使用した場合には、これらの語はただ音声によつてのみ、把握せられ、印象せられるものであつて、正確な記憶として残り難いものであるから、時と処とを異にした場合には、近似の音を有するものとの間に、混淆を生じ易い。本件の場合にも、しいていえば、出願商標を構成する「モア」及び「MOI」の文字は、フランス語の第一人称目的格を表わす語であるということができるし、又引用商標の「モナ」は、欧州における人名「Mona」を表わすものとみることもできるが、商標としては「モア」及び「モナ」はそれらの外国語を直観せしめるものではなく、意味のない造語として把握せられるものとするのを妥当とするから、商標としての称呼は、審決のいうとおり、互に混淆せられ易い性質のものといわなければならない。

(二)  原告は第三類の商品についての登録例を挙げて、審決を非難しているが、抗告審判の審決は、個々の審査例に何等拘束せられるものではないから、過去において異つた審査例が存在するという事実を以て、直ちに本件の審決が判断を誤つた違法のものということはできず、要は前記(一)において述べた判断が取引の実際に照し妥当であるかどうかによつて決すべきものである。

(三)  また本件出願の商標が引用商標の登録出願前から一般に周知されたものであるとの点は、何等立証するところがなかつたばかりでなく、かりにその事実があつたとしても、そのことは引用商標の登録を無効ならしめる原因たるに止まり、本件出願商標について商標法第二条第一項第九号の適用を免れしめる理由とはなり得ない。

第四(証拠省略)

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は、当事者間に争いがない。

二、右当事者間に争いのない事実及びその成立に争いのない甲第六、七号証及び乙第一号証の一、二によれば、原告が昭和二十八年七月二十九日登録を出願した本件の商標は、別紙記載のように「モア」の文字を左横書にし、その下部にこれと平行して「MOI」の欧文字を横書にして構成され、第五類「洗料その他本類に属する商品を指定商品とするものであり、また登録異議申立人訴外小島増一の所有にかかり、審決が拒絶の理由として引用した登録第四一〇三五〇号商標は、別紙記載のように「モナ」の文字を左横書にして構成せられ、第五類「歯磨及び他類に属せざる洗料」を指定商品として昭和二十七年四月七日異議申立人小島増一のために登録せられたものであることを認めることができる。

三、よつて右両商標の類否について判断するに、原告の商標の要部と認められる「モア」は引用商標「モナ」と、その第一字「モ」を共通にし、第二字「ア」は「モナ」の第二字「ナ」の毋音の部分に外ならず、これをこれら商標が指定商品とする第五類歯磨、洗粉の取引の実情を考慮に入れ、その全体として観察すれば、これらの両商標は、その称呼において甚だ紛わしく、互に類似する商標といわなければならない。(原告は審決が、単に第二音である「ア」と「ナ」とについて類否を考察し、「モア」又は「モナ」の全体について考察したものでないと非難しているが、その成立に争いのない甲第五号証によれば、審決は、両商標を全体として対比し、両者は互に相紛わしく、取引上混淆を免れないものとしたものであることが明白であるから、右の非難は当らない。)

原告は右「モア」「モナ」の語は、新語で未だ習熟したものではなく、かつ何等の意味もないものであるから、聴者は特別の注意を払い、彼此混同を生ずる虞はないと主張するが、意味のある言葉は、その意味に結びつけて、比較的容易にこれが混同を避けることもできるのであらうが、意味のない語からなる商標は、これを印象付けるものがないだけに、却つてこれを呼ぶにも記憶するにも、両者を混同する場合が多いものと解せられ、原告の右主張は、これを採用することができない。

四、その成立に争いのない甲第一号証の一、二及び甲第二号証の一ないし五によれば、昭和十一年七月十八日訴外岩瀬芳次郎のため第三類他類に属しない化粧品を指定商品として、「モア」の商標が登録せられているにかかわらず、(原告はその後右商標権を譲り受けている。)、昭和十四年八月二十五日訴外山崎文義のため同じく第三類の香料及び他類に属しない化粧品を指定商品として「モナ」を要部とする商標が登録され(異議申立人小島増一はその後右商標権を譲り受けている。)、更に同登録商標の連合商標として、同一指定商品について、小島増一のため、昭和二十七年六月十三日に「モナ」の商標が登録され、昭和二十二年十二月十一日「モナ」を要部とする商標について出願公告がなされた事実が認められ、またその成立に争いのない甲第三号証の一ないし五、第四号証の一ないし八によれば、原告は昭和二十八年七月二十九日第五類について、本件の出願をすると同時に、第一類、第二類及び第四類の商品についても、同一の商標の登録を出願したところ、当時すでに第三者のため、第一類、第二類、第四類の同一指定商品について、「モナ」又は「モナ」を要部とする登録商標が存在していたにかかわらず、原告の前記出願については、すべて出願公告がなされ、ことに第一類のものについては、昭和二十九年五月二十八日登録がなされた事実を認めることができる。

原告は以上の各事実を指摘して、本件における引用登録商標の「モナ」と原告の商標における「モア」とは、何人にとつても非類似と解せられるばかりでなく、これを類似とすることは、これら従来の登録例にも違反し、ひいては社会の法的安全性の保持も不能に陥るものであると主張する。商標の類否の判断に当り、従来の登録例を参考とし、指定商品の取引の実情を顧慮しつつ、でき得る限り、これを尊重することは、もとより原告のいわゆる社会の法的安全性の保持のうえからも、まことに望ましいことであるが、一面社会における取引の実情は常に推移変遷し、過去における判断、措置が、現在においても常に適切妥当であつて、これに従わなければならないものではないから、商標の類否の判定の如きも、常にこの取引の実情の推移に応じ、これを検討是正することを怠ることはできない。しかもこのような検討是正が、出願公告に対する登録異議の申立を機会としてなされることが多いのは自然の勢といわなければならない。

してみれば、前述の両登録が並び存在したことは、今日における指定商品の取引の実情を念頭において、前記三のように判断することを妨げるものではなく、ことに原告の主張によるも、本件の出願と同時になされた第一類、第二類及び第四類の商品についての出願公告に対し、登録異議の申立のなかつた第一類については、その後登録がなされたが、異議の申立があつたその他の出願については、末だ審理中であることは、この間の事情を物語るものに外ならない。

五、原告はなお、前記二登録商標が、昭和十四年八月以降第三類の同一商品について並立して使用されているにかかわらず、その間何等の混同誤認を生じた事実がないと主張するが、右事実はこれを認めるに足りる証拠がなく、なお原告の本件商標は、第五類の商品についても、昭和十一年以前からこれを使用し、引用商標の登録以前から一般に周知せられていたものであると主張するが、かかる事実は、引用商標の登録を無効ならしめる原因とはなつても、本件出願商標について商標法第二条第一項第九号の適用を免れしめる理由とはなり得ないものであるから、これら原告の主張はいずれもこれを採用することはできない。

六、以上の理由により、原告の本件商標は、前記法文の規定によつて登録することができないものであり、これと同趣旨に出でた審決は適法であつて、これが取消を求める原告の本訴請求はその理由がない。

よつて原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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